私もずっと親との関係について悩んでたけど、一連のプロセスをやって思ったのがこれ。
「あ、私って結局親を超えるのが怖かったんだ」
今は平和な関係になれたけど、ずっとしんどかった。
私たちそれぞれにとって、親の人となりはとても意味があり、またその分影響も甚大。
しかしながら、親がどんな人となりであったとしても、私たちはその親を超えていくわけです。
そんな「親の超え方」にもいろいろあるけれど、私たちの多くは親よりも長く生きることで親を超えていく。
つまり、親の死を超えて生きていく。
辛かろうが、蟠りが残ろうが、乗り越えれようが乗り越えれまいが、子は子で死ぬまで生きていくわけです。
命はシビアですよ。
だからやーっぱり、死生観とリンクしている!
(↓私が自分自身の死生観と向き合った話です)
creativeenergyhealing.hatenablog.com
ということは、恐れ・恐怖を抱えて生きている…
ということは、自分自身と向き合えていないんですねー。
creativeenergyhealing.hatenablog.com
インナーチャイルドとか、アダルトチルドレンとか、HSPとか、私も一通り試してみたけれど、結局、私の思うような場所へは辿り着けず、堂々巡りだった。
やっぱりね、自分自身と向き合うしかないってところまで追い詰められて(=追い詰めて)やっと超えられた。
というわけで、ボディコード、エモーションコード、エネルギーワークによるセッションで相談者さんがご自身の闇としっかり向き合うのをサポートしてます。
ご興味のある方はホームページからお問い合わせください。
最近、こういう時代の宗教絵画を再び見てる。
ロンドンナショナルギャラリーのセインズベリーズウィングにあるような時代やテーマの絵画。
そういう流れなのか、先日もダン・ブラウン原作の天使と悪魔の映画を初めて見た。
でもその後、映画のストーリーとは関係なく、気づいたら「オーソ〜レミ〜オォ〜🎶」とご機嫌に口ずさんでた私🤣
イタリアが舞台の映画を見た⚙️⚙️⚙️…カンツォーネ口ずさむて…どんだけ単純なん?!😆
むかーし、ダヴィンチコードを読んですぐ、当時既に出版されてたシリーズを全てペーパーバックで読んだけど、映画化されても原作で満足していた私は見てなかったのよ。
でね、映画を見てたらコンクラーベというのをやってるじゃない?
そこで何となく「根比べ…」と呟いてからハッとして、「コンクラーベって根比べから来てる?!(多分違う…😅)」って思ったの。
(多分違うと思うけど…)コンクラーベは、とても時間がかかるプロセス。
ちょっと根比べという言葉と繋がらないこともない(こともない)🧐
コンクラーベは根比べっていうダジャレだけど、そういえばダジャレが成り立つのって日本語だけな気がするわ。
って話がそれましたが、自分の死生観と向き合うってすごいことで、私はつっかえがとれたような感じでした。
今問題になってきてる薬害も、元を正せば、それぞれの死生観がずれてたところから始まると思う。
英語でNever too late(決して遅いということはない)というけれど、本当にそう。
ぜひ自分自身の死生観をチェックしてみてね。