Ray of Sunshine

「自分はどう感じたか?」 ​という視点で色々なことを書いています。水星逆行生まれなため、水星逆行期間に投稿が集中する傾向アリ。

私の死生観と荒川央先生の新しいポスト

イギリスでロックダウンしてた頃から、参考にさせていただいてる荒川先生が新しい記事をブログにあげておられるのでご紹介。
note.com/hiroshi_arakawa/n/ndb18bda3fe5d

とても分かりやすいと思うので、打つのをやめた方も、まだ打っている方も、打たなかった方もぜひ読んでみてほしいと思う。

合わせて最近あった、こんなニュースも。
www.yomiuri.co.jp/medical/20231102-OYT1T50164/

(記事より抜粋)
開発中のワクチンは、mRNAワクチンに独自の改良を加えた「レプリコン(自己増殖型)」と呼ばれるタイプで、接種量を従来の10分の1程度に抑えられる。

これは本当に正気の沙汰ではないなぁと思う。

レプリコンタイプは、自分がワクチン工場化してしまうことだと理解してる。

健康な人間をワクチン工場化してどうするの?!

3回目以降、世界の国々では希望者がいなくなってしまったため、接種は実施されていない中、7回目?8回目?が実施され、希望者がいるのは今となっては日本だけ。

荒川先生のブログで自己増殖型についてはこちらの記事に。
note.com/hiroshi_arakawa/n/nd2df07ce123b

こんな生物兵器まがいのものを、日本で先頭をきって作り、また国民が希望して打ってしまったら、世界の国々は自分たちを守るためにどうするだろうか?って考えたら私はあまり良いストーリーを描けない。

それに、シェディングの問題もあるから、打たないことを選択しても「ただではすまない」のが今回のmRNAワクチンであり、自己増殖型ワクチンだと理解してる。

タイトルに書いたように、今回の一連の件は私にとっては自分の死生観と向き合うプロセスでもあった。

私にとって自分の死生観と向き合うとは、自分もいつか死ぬということを受け入れるということだった。

コロナ自体を軽んじるわけではないが、これで亡くなることはほぼないことが今はわかっている。

しかし、mRNAワクチンで寿命を縮めた人は多く、それは超過死亡の激増を見れば一目瞭然だ。

日本だけじゃなく、接種を行ったほぼ全ての国々で人が亡くなり続けてる。

打つのをとうの昔にやめたイギリスだって、超過死亡が激増している。

亡くなり続けてるだけじゃなく、若年化もしているという異常事態。

やっぱりここは、ひとりひとりが勉強して、打った人は何を打ったのかを正確に理解してできる限りのことを選択し、その選択をした自分と和解することと、打たなかった人も自分と和解し続ける…ことかなと思う。

自分と和解する…というのは、一番大切なことで、そもそもこの文明がこんな事態に発展したのは、それぞれが自分を置き去りにしたり、自分自身の中で分離してしまった結果じゃないかと私が思ってるから。

(↓荒川央先生のブログから)

私は、イギリスでロックダウンになった時、ワクチンの話が聞こえてきて、その年の暮れに接種が開始すると聞いてパニクった。

直感がまず「打ちたくない!」と叫んだからだ。

そんな時は不安になるから、情報収集を始めた。

だって当時の私はそれほど医療に対して不信感を持っていなかったから、最初は「安心して打つための理由探し」みたいなノリで情報収集を始めた。

直感の声とは裏腹に、私自身は「いやだけど打ったらいいんでしょー」ぐらいだったのかもしれないと思う。

ところが、まさかの直感からの警報。

公開されている文書を読んでも安心感は生まれず、当時無料で行われてた数々のアメリカの草の根医師らによるZoomを通した勉強会に参加したけど、それらは私の直感の声と同じで、私は結局打たない選択をした。

こんな風に、リアルな情報収集と並行して、私は自分の死生観と向き合っていた。

というのも、これは私が初めて「自分も(いつか)死ぬ」ということを、身近に感じた経験だったから。

それまでも、「いつか死ぬ(だろう)」ぐらいに思ってただろうけど、実感はなかった。

つまり、それは私が、ブンジュ村の人たちや、彼らにとってのかつての日本人みたいに生きていなかった証かもね。

creativeenergyhealing.hatenablog.com



明らかに危険なものを「打て打て」言われて、周りに話しても皆は打っちゃってた頃、私はパニクったんだけど、その時の私はこの、「自分もいつか死ぬ」というのを受け入れられてなかった気がする。

当時参加していた勉強会でアメリカの先生たちは「絶対打たないで」というのと、すでに「打った人たちから受けるシェディングについて」話してた。

そこでもエネルギーワークをたくさんやった。

で、「私もいつか死ぬ」というのと、私自身がそういう環境に身を置いてる理由は「私にある」ということを受け入れたら、またエネルギーが流れ始めた。

だからね、打った人で後悔してる人も(してない人も)、それを選択したのには、それぞれ理由があったと思うし、それに気づいてあげることはそれぞれのスピリットにとってとても大事なことだと思う。

だから、自分と向き合いながらそれらを理解することって、すごく大切だと思うよ。