「使ってない能力がある?DNAに刻まれた先祖のメッセージと守護霊からのメッセージ」の続き。
creativeenergyhealing.hatenablog.com
こちらもぜひ。
creativeenergyhealing.hatenablog.com
20年ぐらい前になるかな?
初めてアカシックレコードについて聞いた時、「きゃー!私も知りたい知りたい」って思ったけど、当時の私といえば、全然スピリチュアルでも、フワスピですらない、いわばエネルギー的に「どろんこ」状態だったから、
世界のどこかに「アカシックレコード」って書かれた看板を持つ「図書館」があるイメージだった🤣
前のポストを読んだらわかるけど、アカシックレコードって言われるものも、実はDNAのことかな?って今は思ったり、そもそもアカシックレコード知りたいという思いがなくなった?かな。
アカシックレコードという言葉を、誰がどういう意図でこの世に普及させ、かつ何を意味して表した言葉なのかわからないけど、私の捉えてたそれは前のポストに書いたDNAの側面に近い気がする。
そこにある情報に、なんらかの理由でチューニングできる人が、近代では霊媒師と名乗ったり、シャーマンと言われたり、古代に至っては祭司を司る役目を担ってきたのでは?ぐらいに感じたよ。
で、よく「がん家系」とか「糖尿病家系」とか言うじゃない?
アメリカの女優、アンジェリーナ・ジョリーも、トランプ大統領の政府でプレスを務めた女性(名前忘れた)も、確か母親も祖母も姉も?乳がんだったから、遺伝子を調べてあらかじめ乳房を全摘したって読んだ記憶があるんだけど、
その「遺伝子の情報」自体はそれほど間違ってないかもしれないけど、その情報の活用法が本来意図されたものからズレてる気が、そのニュースを読んだ当時からしてたのよね。
もちろん、その選択をした女性たちからすれば、未然に防いだということで意味はあったんだろうけど、他にもその情報を活かす方法はなかったのだろうか?って。
そもそも、その「がん」に罹患する理由があって、それはおそらくその家系の女性が繰り返し体験してきた、ネガティブなメンタルプロセスが大きいはずで、DNAに刻まれた先祖のメッセージとしては「それを克服しぃや」なんじゃないかと思うんだけど?
病気のまま亡くなったり、怒りを抱えたまま亡くなったりした人の「その人が生前一番使ってた能力」って必ずしも、現在に生きる子孫たちにの中で発動して「嬉しい」と感じれるものとは限らない気がするのよ。
そんな場合、やっぱりそれが情報としてDNAを通して伝わってる場合、それを「繰り返す」ために伝えてると仮定するのは、生命の本質ではない気がして…。
生命の本質は、現れ拡がることだから。
だからもし「がん」で亡くなった人がいたら、孫子(まごこ)には、「そうならないように」っていう「こうしたら良いよ」っていうメッセージを残す気がすると思わない?
私の父方の家系は、見ている限り様々な病気を一貫性なくしてる。
亡くなった人たちはそれらを解決しないままに亡くなっていったけれど、何でその病気になったのか、私にはわかる。
私はそれを受け継いでる気は全くしてない。
それは、彼らをそれぞれの病気に罹患したらしめた精神性を受け継がないように、エネルギーについて知る機会を与えられたり、エネルギーヒーリングをする機会を与えられたりしながら、是正してきてるから?かもしれないよね。
それは言ってみれば、私のDNAに眠ってる先祖の願いでもあるからかなぁ?と思ったり…。
もっと言うと、情緒的な感じで「子どもたちには健やかな人生を送って欲しいと先祖が願った」とかいうよりも、生命の本質としてもう必然的に「そうなってる」気もするなぁ…。
ところが、いわゆるカミサマを拝む宗教に続き、医療信仰にハマった現代人は、そういったDNAからメッセージを受け取る(DNAを活性化する)術を手放し、「医療サマ」という御神体を新たに得たのではないだろうか?
そうしてるうちに、どんどんDNAを通してメッセージを純粋に解読できなくなり、かえって体に悪い治療、投薬、はたまたがん保険なんかに縋るようになったんじゃないかなって思う。
こないだ、東京ステーションギャラリーでやってる「みちのくいとしい仏たち」展を見てきた。
民間仏というのを初めて知ったけれど、ここに集められたのは、よく「まんが日本昔ばなし」に出てきそうな、善良な村人AとかBが大切にしてそうな仏像ばかりだった。
展示の中で、「見た目は有名な仏像より劣るかもしれないが、どの仏像にも、必死で縋った人が一人はいたのだ」みたいなことが書かれてて、私はグッときた。
縋る!
このエネルギーは、人間にとってどうもよくない気がする。
なかなか叶わなかったり、思い通りにならないことが多いと、「困った時の神頼み」じゃないけど、縋りたくなることがでてくるんじゃないか?そんな気がする。
もっともっと、大きな意味での自分という存在がすでに教えてくれてることが分かるようになりたいねぇって思うわ。
というわけで、自然科学の本や、日本史系の本ばかり最近読んでるなぁ。