前提として、全てのものは常に変化している。
そんなわけで私は、ある時から、メディテーションをしていると、感動して涙が溢れることが増えた。(毎回ではない)
それは、心の底から、全てありのままの全てが完璧なのだと感じれた時。
肉体を持つ私の目にうつる、あらゆる不完全さ、醜さ、全てがそれで完璧なんだと感じれた。
…っていうと、「でも不完全さ」とか言ってる時点で「不完全って思ってるからあかんやん」とツッコミが入るかもしれないけれど、それはねぇ、不思議なんだけど、その通りなんだよね。
不完全は不完全、だけど、今この瞬間、その不完全さが完璧、そんな感じなのよ。
「だったらそのまま不完全でいいだろ」なぁんて、意地悪なツッコミも入るかもしれないけど、正にそこ。
前提として、全てのものは常に変化している。
だから、不完全さも、醜さも、美しさも、完璧さも、常に変化してる。
「だったらそのまま不完全でいい」は不可能なんだよ。
でもわかる「変わりたい」と感じる部分。
それは何か?
というより、どう定義すればよいか?
そんな思いをエネルギー専用の電子顕微鏡で拡大してみる。(イメージの顕微鏡やで。Amazonには無いよ〜)
そしたらそれは、単に「新しいやり方を学ぼうとしてる」とか、「これまでと違うことをやりたくなってる」とか、そんな感じなん。
そういう風に視点を変えると、もっと応援するエネルギーが湧いてくる。
そうやって「風」が、流れが生まれる。
だからね、「変わりたい」と思ってるうちは変われない。
なぜなら、「変わりたいと思ってる」をやりたいから。
そこで完結してる。
自分をダメだと、それではダメだと認定したかった、だから完結してしまう。
だから変われないし、そもそも「変わりたかった」わけじゃないやん?
やりたかったのは、その「新しいこと」だったり、「やり方」だったりしたわけでしょ?
それらをやれば「変わる」は必然。
それらができたら変わってようが変わっていまいが、「どうでも良い」でしょ?
「変わりたい」というテーマでやってくるクライアントさんって、皆、「否定」のエネルギー満載でやってくる。
でも気づいてない。
否定のエネルギーは、正しさという仮面でカバーされてる。
だから、そんな自分のエネルギーに気づいた時に、グッとくる。
エネルギーの言語って、自分の頭の中と全然違うから。
エネルギー的に自分が何を発しているのか?
それが大切。
先日の月。
なぜかくっきり撮れず、その晩はこれがベスト。
もうすぐ満ちる。
そしたら新月に仕込んだ松葉酒を開けるんだ〜っと。