この頃切実に思う、やっぱり自分のエネルギーをちゃんとチェックしとかんと…って。
タイトルには「整える」なんてカッコよく書いたけど、整わない時もある。
たとえ「整わない」時でも、「整ってないなぁ」とか、「整わんなぁ」とか、知っておくことが大事だと思ってる。
私はよく、オラクルカードを使って、自分の現在地(エネルギー的なGPS)をチェックする。
これは分かりやすく、私にとっては楽しいこと。
セッションでもオプションでつけられるので、気になる人はぜひ受けてみて。
私の場合、未来を「占う」水晶玉的な感覚で使っていない。
どちらかというと、以前書いたように「私の中にある高次な部分、それはどっしりと構えてて全てわかってやってる」が、この肉体を持つ私には把握できてなくても、常に目的に向かってクリエイトし続けてるから、それをビジュアル化してみる、そんなスタンス。
魂のはなし:
写真は、過去に私自身が自分にやってみたもの。
楽しいの、これ。
テーマは覚えてないけど、私は大体、「現在私(高次のレベル、魂)がクリエイトしているもの」(これが目的で、一般的に「未来」の要素を少し持つといえる)をカードで表すと、「私の現在地」がより分かりやすくなるので、現状をより深く知るための考察。
「ああ、だからこういうことやってるんだな」という風に。
すごいカオスに見えるけど、すごいストーリーが見えてくる。
これも、私のエネルギーと共に微妙に変化していくので数ヶ月おきにチェックするのも楽しい。
私の前提として、魂の部分、高次な自分には、肉体を持つ自分の「えー!そんなん無理ー!」とか、「怖いー!」とか、一切無いので、逆にそういった手放したいことや、自分が感じていることが実感しやすくなる。
そんな感じかな。
セッションメニュー:
今、聞いてるAudibleの、Free Your Mindは、イギリスの写真家で作家のLaura Dodsworth氏共著の最新作、残念ながら、邦訳はされていない。
これにも出てきた、「Fool me once, shame on you. Fool me twice, shame on me.」、これは「1回目は騙す方が悪い(と言える)が、2回目(以降)は自分の責任」みたいな意味。
Free your mindは今回のパンデミック騒動をきっかけに書かれた本だけど、日本でも、ずっと前に書かれた今でも通じる文章、それが「戦争責任者の責任」だ。
数十分で読めるぐらい短い文章なので、「読んでみると良いよ」と言われて読んでみた。
Kindle版だと0円。
文中の「戦争」は第二次世界大戦を指すけれど、それを全て「パンデミック」と置き換えても内容が通じる。
いや、ウクライナ、ガザ、改憲、マイナカード、水道民営化、なんでも置き換えられるよ…と言われ読んでみると、本当にそうだった。
「いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。」
むむむ!
つまりさ、どれもこれも、料理の仕方は同じってことちゃうん?って思った。(または、同じ材料で料理法だけ変えてる?)
私も、ロンドンでボリスがNo.10から、仰々しくスピーチし、数週間後にロックダウンの開幕を宣言した時も、「しょうがないわねー」ぐらいでホイホイ協力してしまった。
でもすぐに「違うやん!」と感じて、ハッと我に返った。
そこからいろいろな情報が流れ込んできた。雪崩のように…。
つまり、情報も知識もなんもかも、ずっと「そこ」にあったけど、私に見えてなかったというだけ。
「 【だまされていた】という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
【だまされていた】といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。」
ここ正に、「Fool me once, shame on you. Fool me twice, shame on me.」だよね。
そして今、ウクライナに続き、ガザでも戦争が起こされてしまった。
重要なのはパレスチナとイスラエル、どちらかの肩を持つのではなく決して巻き込まれないことだと思う。
ウクライナの時も、今となってはDNAが混入していたことが世界で大問題になっている(けど日本ではまだ)ワクチンの時もそうだったけど、日本人はすぐに募金だとか、日の丸を掲げたことなんてないのに、他人の国旗はホイホイ揚げちゃうし、世界中で誰も打たないXBBですら並んじゃう…。
そうやって、誰かや何かのストーリーに自ら巻き込まれていく。
誰かや何かのストーリーに自ら巻き込まれていくことは、エネルギー的に自分を明け渡すことで混乱しか残らない。
今、「誰かや何かのストーリー」は戦争だよ?!
こんな経験ない?
子どもの頃、よく見た野生動物のドキュメンタリーを思い出す。
ライオン一家にフォーカスが当てられているバージョンでは、すばしっこいガゼルを見てると「ああ!もう2週間も獲物が獲れてないのに!」とライオン一家に肩入れする。
でも、ガゼルの群れにフォーカスが当てられているバージョンでは、容赦なく傷ついたガゼルを追いかけ回すライオンを見ると「なんて危険な動物なんだ!」とガゼルの群れに肩入れする。
そしてガゼルの群れの中にフォーカスを当てたバージョンでは、肉食動物に狙われた時、健康なガゼルたちが、弱ってるガゼルを犠牲にして逃げる様子を見て「仲間なのに!私が保護してあげる!」とばかりに介入しようとする。
ここに答えなんてない。
あるとすれば、All lives matter、全ての命が大事ということで、逆に、一面だけを切り取って安易に一つの旗に肩入れをするのは軽率に思える。
オーソドックスといわれるユダヤの人々は、イスラエルの建国から反対していた。
x.com/ricwe123/status/1710610908823572826?s=20
だからイスラエルを廃止して、全てをパレスチナの人々に返還しようと言うけれど、たとえシオニストが作った国でも、そこで生まれ育った2世、3世からしたら「自分の国」なんだろうと思うし、それはある日突然、自分の家や国を追われたパレスチナ人は、毎日命の危険に晒され続けながら生きてきた。そうやって生まれた2世、3世だって「元々自分の国なのに…」と思ってるだろう。
そんな中、イスラエルに生まれ、イスラエルに住み、イスラエルのパスポートを持つ、30代のパレスチナ人の男性の動画を見た。
x.com/tonakai79780674/status/1716066318062072054?s=20
この人のことは良く知らないけど、彼は2つの国が隣り合って仲良く生きていく、ということを提案してる。
それは、サウジアラビアのムハマンド皇太子が提案したことと同じだと思う。
x.com/and_translated/status/1716140169198198889?s=20
動画のパレスチナ人の男性も、ムハマンド皇太子も30代。
前出の、ユダヤ正教のラビとは全然違う世代。
新しい世代の提案は、不都合なものは破壊することも厭わない古い世代の「政治」や「国」に対する関わり方とは違うようにも見える。
大義(それがいかに歪んだものだったとしても)のためには犠牲は仕方ないのだという、山羊座土星のネガティブな部分を克服するのが、次の星座、土星と天王星を持つ水瓶座のエネルギー。
二人の若いアラブ人の言葉に、少しだけ、水瓶座っぽさを垣間見た気もしつつ…、かといって熱狂するわけでも、誰かを信じるわけでもなく…自分のエネルギーを整理整頓するしかない。
個人的には、とにかく今すぐ停戦だと思ってる。
人、ひとりひとりの立場で、冷静に考えて、戦争を望む個人なんていないはず。
自分の子どもや親、友人、恋人を戦争で失っても良いと言う人はいない。
「戦場に、立つことになった時点でもう負け。そうならないようにするのが政治や外交」、つまり敵を作った時点で負けなんだよね。
政治的な「国」というエンティティは、ひとりひとりの思いとは無関係に、ステークホルダーが儲かるからと戦争ホイホイに乗っかってるけれど…、
「いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
つまりだますものだけでは戦争は起らない。」
ということなんだと思う。
やっぱり私たちひとりひとりが、しっかり目を見開いて、自分のエネルギーを整えていくしかない気がするんだよねぇ…。
そのために大きな力となるのが、自分のエネルギーを知る、その上で整える。
これを、たくさんの人たちがやったら、一体どんな世界になるだろう。