私の好きな考古学者(なのかな?)でTVプレゼンター、ニール・オリバーが、彼のポッドキャストで言ってた言葉。
「(対価として)お金を払ってない時は、自分自身が商品なんだ」というのは、
SNS全般に言えること。
他にも、無料のアプリをダウンロードして、お財布や銀行代わりに使えるプラットフォームもそうじゃない?
無料ワクチンもそう。
どうやって「自分」が商品になっちゃうか?
「データだ」とニール・オリバー。
同じ言葉が日本にもあって。
それが、
タダほど高いものはない!
で、要するに、この世に対価を伴わないものは無いのに、
「タダで享受できる」ような錯覚ができてしまってるのが問題なんだろうなぁ。
対価にもいろいろあって、例えばエネルギー丸出しの感情もそう。
「大好き!!!」というエネルギー出すと、その種類じゃなくて、同じ質量で対価を受け取ることになるから、
「好かれる人からは好かれるけど、嫌われる人からは嫌われる」となってきて、
そこんとこが薄い「そこまで好き嫌いはっきりしてません」みたいな人は、
同じ質量の「あなたのこと、好きでも嫌いでもありません」みたいな感じを対価として受け取るわけ。
すると、対価がはっきりしていて、それらがお金という分かりやすい単位でやり取りされているSNS含め、ビジネスは、こちら次第では「ホワイト」なんだなぁと思う。
労働契約もそう。
こちら次第。
こちらが目をしっかり見開いて、対価を見極めた上でコミットするかしないかを決めないと、気がつくと、自分が商品になってしまってる、というわけね。
そしてこれ↓の対価は、鹿せんべえと、若い雄鹿のよだれだった。