で、今、別の苫米地さんの本を読んでる。
「言葉」があなたの人生を決める、というやつ。おもしろーいい!
私の中にはたくさんの「言葉」のエネルギーがあって、実際よく喋るのだけど、どうも空振りすることが多い気がする。
そしてとうとう、イギリスから23年ぶりに戻ってきてこれまで言われたことがなかったことをよく言われるようになった。
そ・れ・は。。。。
「何が言いたいのかわからない」というやつ。
えーえー!ってなった。
それまで、コミュニケーション能力が高く?、時に鋭すぎて辛い?とかまで言われた私が、ここへきてまさかの。。。。、
「何が言いたいのかわからない」????
驚き落ち込み、日本語をアップデートしたいと思ったけど、これってさ、英語でできるようになってたってことは、日本語でもできるように「できる」ってことで、しかも伝えるコツを身につけられれば、もっとクリエイトできるってことでしょ?
やるやるやるやる!ってなるのが私。
何より、日本語でもセッションができるようになりたいと思ったのよ。
色々読んでるけど、ここ2、3日できた、苫米地フィーバー😆
苫米地さんの本を読んで面白かった!みたいなことをツイートしたら、AIの仕業か、「夢を叶えるなんて白々しい」と、こんなツイートが上がってきた。
「夢を叶える」思想っていうのは、逆説的なんだけど、その人本来の力から目を背けさせる方便なのだと思う。
外から植え付けられた思想。
自分を生きていればそんなに遠いものじゃない。夢ではなく自分に注目すればいずれ当然のように到着する。」
そうなんだよね。
私が言いたいのはね、この人の言ってることと、夢を叶える思想は、相手によって(人によって)同じ作用をするんだってことよ。
この方はこれで良いし、この方にとって例えば「ゴールは理想的な現状のバージョンであってはならない」とか、「叶うんかーこれ?」みたいなデカい夢は、「遠く」にあるものっていうジャッジがあるかもしれないけど、例えば私の場合、本に「現状の外にゴールを設定する」ってあったら、それは「すぐ側にある」けど見えないモノってなるのよ。
自分の中に、ジャッジとか、抵抗とか、恐れがありすぎて「見えてない」けど、すぐ「そこ」にあるものって感じるのが私。
だから「同じこと」やねんなぁーって。
私が例えば、この方のいうように、「自分に注目する」をやろうとすると、うまくいかない。
プライド、ジャッジ、抵抗、恐れで見えないんだからしょうがない!
だから、一見真逆の思想でも、人によっては結局同じように作用して、同じ結果に到達できるということ。
だから、何でもいいねん!っていうこと。
誰のどんな方法でも、人を殺したりとかじゃない限り、ええのよ。
うまく行ったら良いと思う。
で、そのうまくいくっていうのは、その人が満足できてる状態のこと。
本当に何でも良い。
いつ、どこの、誰から、きっかけが届くのかなんてわからない。
だからオープンでいたいよねーって思う。
他のやり方とかを批判しなくてもよくて。
もちろん、批判するのも自由だけど、批判するってことは、反応するってことは、自分の内にかけらがあって、それを批判してることになるから、自分の足枷が大きくなるだけで、それはそれでいつか向き合わねばならなくなる。
でもそれすら、その人が到達したいところへ到達するための布石でしかないなーって思うから、それでもOKなのだけどね!
ま、ピンときたら、何でも読んでみるとよくて。
読んでみてピンとこない時は、それがいずれピンとくる言葉に出会うために必要な布石だったということだから。
私、苫米地さんなんてこれまでぜーんぜん、ノーマークだった。
自分に関係のない存在だと思ってた。
でも、ふとギターを弾いてる動画みて、「へー、こんなことするんやー」ってなって、「どんな本書いてるんやろう?」って思い、覗いてみることにした。
経済や政治について語ってるなら興味ないしと思ってたら、これとか、前のポストで紹介した本を見つけたのよね。
意外やったよー。
でもこれすら始まりではなくて、やっぱりシャドーワークして、「なんか、自分で変えられそうかも」って思えたのがきっかけかもしれないな。
私のシャドーワークについてはこちらから。
creativeenergyhealing.hatenablog.com