ふと、思ったこと。
お金を払うのも、お金を受け取るのも、本質的に同じことのような気がしてきた。
すごい不思議。
私のスーパー盆休みも今日がラスト。
明日明後日は週末で、また来週から仕事が始まる。
今回のお盆休みは、すごいシンクロが重なった。
シンクロは、サレンダー(降伏)したら起きるんだって。
苫米地英人さんの本を読み始めた時は、まさか、まさか、まさか(3回言った)自分がダンスのワークショップへ行くなんて思ってなかった。
スコトーマ(盲点)を外すエネルギーワークを、毎朝やってるけど、それって私が本当に、「全てあるがままに」受け止めたいと心から思えたから。
セクシュアリティ=創造の源
これを聞いた時にはぁぁぁ〜っとなった。
私の場合、ものづくりをするのである意味強烈な気づきだった。
とても神聖なエネルギーであって、日本やアメリカ、イギリスのガバメントが広告代理店なんかと一緒になって「推進」してる話では、全然無い。
あれも、本来の意味(エネルギー)から、私たちのコンシャスネスを遠ざけるため?と思ったりする。
いずれにせよ、隠そうとすれば見つかるので、あんな流れが起きたのも、実はその神聖さに人々が気づくためだったのかもしれない。
渦中で右往左往させられている人たちは、現在はまだ「巻き込まれ役」に甘んじている人々で、いずれ、そこで得た学びを糧に、それぞれの神聖さの中へ戻っていくんじゃないかと思う。
で、お金だけど。
出すのも入れるのも同じこと。
つまりは流れ。
創造の源というのは、クリエイション。
それをどう捉えているかというのが、私たちがそれぞれのセクシュアリティをどう捉えているかと等しい。
そこに抵抗やジャッジがある時は、エネルギーがそういう流れになる。
枯渇させるような場合は、エネルギーも枯渇し、
ただ一方的な場合は、エネルギーも一方的にしか流れない。
それが物理的な形で現れるものの一つが、お金の流れ方なんじゃないだろうか。
そう思ったのよ、ふと。