Ray of Sunshine

「自分はどう感じたか?」 ​という視点で色々なことを書いています。水星逆行生まれなため、水星逆行期間に投稿が集中する傾向アリ。

お盆休みと「感覚」を味わう抽象度の上げ方

日本のお盆休みって、イギリスやったらイースターホリデー感覚なんかな?

今、翻訳通訳のお仕事させてもらってる会社が明日からお盆休みに入るので、私もしばし休憩!

やったーやったー!!!

「今日の夕方からお盆休みや!」と思うのは、やっぱり今やってる仕事も、私の本当にやりたいことではないんだろうな。

翻訳の仕事がAIの台頭で減ってる減ってるって言われる中、こうして私みたいに「ただネイティブみたいに喋れる」というだけでやらせてもらえるのはありがたい。

ありがたいけど、私はやっぱりライブで、交渉、ディベート、Q&Aとか、台本が無い、100%アドリブの通訳をやる方が好きだし、多分向いてる。

エネルギーワークのセッションだって100%アドリブで、エネルギーの通訳みたいなもんやから、やっぱり「喋って伝える」のが好きなんやろうな。

ま、ええけど。

ここ2、3日の、私の苫米地フィーバーについて書いたポスト、結構閲覧数があって嬉しい。

気になった人はぜひ、読んでみて。

何がきっかけになるかなんてわからないから。

でね、今日も書くわけだけども!

人間って忘れがちやけど、皆、今ある現状も違えば、目指すところも違う。

けど、目指すところを目指したいのは同じやし、皆、多少の違いはあれど、それぞれが思う「幸せ」を体験したいのも同じ。

ただ、現状が違ったり、これまでの道のりが違ったり、個性もあるから、同じやり方、言われ方しても一律「ピッ」と揃わないのも当たり前。

例えば、バシャールでうまく行った人もいるだろうし、エイブラハムが良かった人もいれば、それ以外のアメブロとかでキラキラしてる人たちの「メソッド」が良かった人もいて、「ノート術」が「神!」みたいな人もいると思う。

要するに、上手くいけばどれでもいいの!

全部一緒のこと、伝えようとしてくれてるんやし。

ただ私にとって多くは、「わかりそうでわからん」ことばかりだったし、「ノート術」に関しては、心が1ミリも動かなかった!

それはね、もう性格!

それが今回は、

ー細かい設定は不要(少なくとも最初は)
ー抽象度を上げる
ー今ある現状の延長線上にあるような「理想」じゃなくて、現状の外にゴールを設定する

とか、もう私にとってピッタリくることばかりだったから、すぐ実践できたの。

で、今日も語るわけだけども、今日は抽象度を上げることについて私の体験。というか、体感。

例えば、私の夢が「大きい家を買って、リノベして暮らす!」やったとする。

そしたら、従来のアドバイスの「私の理解」では、大きいってどれぐらい?とか、どんな場所にあるの?とか、素材は?とか、屋根の色は?とか床はフローリング?とか、幾らぐらい?とか、とにかく細かく設定が必要。

その理由は、「私の理解」では、「ワクワクするため!」みたいな感じ。

でも、そもそも、その夢自体、私みたいな人の場合は、「夢じゃない」場合が多い。

つまり、言われたから「言ってみた」までで、実は夢なんて見えてない!

だって、それが盲点になってるから、現状モヤモヤしてるんやんか!っていう話なのよ。

だから「そもそも」が全然違うねんなーっていう話。

例えば「ノート術」的なやつで、いろいろこなしていける人って、ある程度、頭が整理されてて、「ちゃんとしてる」感じの人やと思う。(自分比)

でも、私みたいにエネルギッシュで、大雑把なくせに、細かいことに心を乱されがちなカオス人間には無理!

だから、この、

ー細かい設定は不要(少なくとも最初は)
ー抽象度を上げる
ー今ある現状の延長線上にあるような「理想」じゃなくて、現状の外にゴールを設定する

はピッタリだった。

だって細かい設定は不要なんよ?!

でも、細かいことに心奪われやすい私。

どうやって抽象度を上げるか?

抽象度を上げるというのは、俯瞰すること。

私、実は俯瞰も上手い(らしい)ねん。

でも、それ以上に、細かいことに心を乱されやすい!!!

少なくとも、心が乱されてる、乱されそう、乱され始めたら、すぐわかるようになったので、その時点でまず、「あー!!!ちょっと待って!!!」とストップをかける。

そうじゃないねんそうじゃないねん!とストップをかける。

例えば冒頭の、通訳翻訳ネタで、

「やっぱ、通訳もっとしたいなー。通訳の仕事探そかな。(ネットを見てみる)あんまりないなー。じゃ、フリーランスの看板出す?!(そういうプラットフォームみる)え?やっぱり資格あった方がええかー。取ってみる?(資格を検索…)」

これこれ。

これが、抽象度が下がって、夢もクソも無くなって、なんとか、綺麗に収まろうと「この私」がしてる時。

だって、私がやりたいのは通訳じゃないもん!

翻訳より通訳が「楽しい」し、「向いてる」っていうだけで、一生やりたいわけじゃない。

でも、「なにが?」というところは、盲点になってて見えないの。

そこで自分に聞く、「もし『それ』を今やってるとしたら、私、今、何してる?机に座ってネットで通訳の資格とか検索してる?!」って。

自分から返ってくる答えは「絶対してない!こんなとこ、おらんわ!」みたいなの。

そうやってるうちに、私は、あくまで「私は」楽しくなってくるねんなー。

そして、その感覚が大事やねんけども、その感覚を、ディテールを思い浮かべることでするタイプの人たちもいるわけ。

もっというとね、同じ苫米地さんの本を読んでも、私と同じ理解をしてない人たちもいるかもしれないのよ。

だから、本当になんでもええの。

というわけで、この夕方からロングロングウィークエンド。

彼がドライブに連れてってくれる!

そうそう、その話をしてた時も、行き先候補が2つ上がって、彼が行こうと決めたのは私が行きたいとこと違ってた。

そこも行きたいけど、もう一つの方が「もっと」行きたかった。

でもそっちは高速で行けないから、「こっちにしよう」と決まった行き先も面白そう。でも…。(ここから下降していく)

ま、彼が車を借りてドライブしてくれるわけだから、「ええんやけど、なんで私の行きたい方にしてくれへんの。私のことどうでもええんやろか…」

​とディテールに心を乱され出したので、ちゃうちゃうちゃう!やろと。

一緒に休みの日にドライブするのが楽しいんやないの!!
二人で行ったらどこでも楽しいんちゃうん!

って抽象度上げたら、ケロッとするからね。私。

そんなもんやねんなー。