皆が皆そうじゃないかもしれないけど、日本の後期高齢者と言われる人たちは独特なところがある。
やっぱりNHKとかテレビなのかな?と思ったりもするけど、今回初めて同じ生活空間で自分の母と生活してみて感じた。
ほんの2、3日とはいえ、はっきりわかったことがある。
それは彼女との距離の取り方。
もう、「好きにさせる」。
これが一番の方法なのだとわかった。
もちろん、私の家に滞在してる間は私の家のルールに合わせてもらうけど、彼女にはそういったこともストレスになる。
「こうやったほうが良いのに」とか、「なんでここ、こうするの?」とか、もういちいちうるさいのよ。
彼女はベテランの主婦だったし、山羊座だから能力高い。
私は永遠の子どもだし、家から仕事もしてるし、全然違う。
だから、気持ちはわかるけど、すごく面倒。
母と私が喧嘩になるのは、お互いが気を使って、やりたいようにやっていない時で、そんな時、彼女は俯瞰できないから、「アンタ、変わったと思ったけど、やっぱり全然変わってないわ」と私に説教を始める。
いや、そうじゃないねんと言って、このブログに書いたようなことを説明しても「そんな理屈わからん」と言うので、もはや言わないけど、私に「私はムスメに嫌われる」と言い残して、東京で博物館や美術館巡りに出掛けていった彼女は、1日を本当に満喫して帰ってきた。
どこへ行ったの?と聞くと、「これして、あれして、あそこへもいって…」と、最後に居酒屋的なところで晩御飯食べて、ビール一杯飲んで帰ってきた。
ターニングポイントは、彼女自身、老いる中「一人でできてたことができない」というパラダイムに陥ってて、東京でも「一人であちこち行けるかな」って不安やったんやと思う。
で、「佳英子に頼らなあかん」と。
「佳英子は仕事してるし、あの子はあの子でやることあるやろし、あの子ちょっと変わってるからな。あーあ、一人の方が楽やねんけど」みたいな感じやったんやと思う。
彼女には9歳離れた妹が東京にいて。
彼女に会ってきた後も「あの子はボケッとしてるから、私がこうしてああしてやらな…」というの。(実際は違うと、叔母の名誉のため追記…)
いつまでも姉御肌でいたい人なんやなと実感した。
だから、私にも同じように「あの子はあかんねん」扱いできるかどうか判断して、「あかん子」分類できたら、ある意味自分の存在理由の証明にもなるけど、それはそれで「不安」の種でもあり、その矛盾に気づけないからイライラするんだろうなーって思う。
でね、一人で出かけた日、「いや、落ち着いて地下鉄路線図見てたら、全然自分で行けたわ」といって、最終日も、本当は私の仕事が終わってから一緒に出る予定だったけど、「先に行ってるわ!」と。
そんな彼女と並行して、私も罪悪感、例えば「一緒に行った方がええかな」とかそんなの、一切持たなかった。
鍵も渡して、私は私でいつも通り過ごしてたら、夜にご機嫌で帰ってきたから。
これでええんやね。
母も、私も、お互いを弄ろうとして、無理に合わせようとしたり、相手をこちらに都合の良いように合わせさせたり、そんなことするから、スカンクみたいに、悪臭ばら撒いてしまう。
数年前に姉も、同じような悟りを持ったんだというのがわかった。
彼女も同じ事言ってた。
「いいねん。好きにさせたったらええねん」って。
私の目の上のたんこぶだった問題が、解消した気がする。
この間、何回ボディーコードしたことか…。
また、ため息つくような日もあるかもしれんけど、母のことはよくわかったし、基本的に人間関係は、相手に好きにさせ、私も自分の好きなようにさせるとうまくいくのかなと思った。