私、人って持ってるもんで生きていくと思う。
その「持ってるもん」は、変えられないし、変わらない。
でも、直した方が良いところ、よくない部分とかあるよ?
それらは認め意識し、なるべくそれが出ない生き方や環境に変えていくしかないと思ってる。
つまり、本質的に「よくない部分が出るのはどんな状況?」というところと向き合って、理解してあげること。
そしてもっと、私が強いところ、得意なところ、ええところをもっと伸ばして行きたいなぁと思う。
たとえば私、何か夢中になることができるとそれ以外が疎かになったり(子ども?)、人の気持ちに答えたいと思うあまり無理しすぎてパンクしたり(承認欲求?)。
だから私が私をうまく動かしてあげないといけないなと思う。
ただそれだけ。
どういう状況に陥ると「追い詰められた」心理状態になっちゃうのか?
それで、それはどうしてなのか?
そこをクリアにしていくと「なるほど」で、そういう状況にならんように、采配できるようになっていく。
それでもやっぱりそれが「出る」時もある。
当たり前よね、たかだか人間やもん。
そしたらまた自分の内へと向かってって、その観念と向き合う。
この繰り返し。
母が東京へ来ていた時に、やっぱりいろいろ喧嘩して、何度言われてもがっくりの「あんたも変われる!お母さんかて変われたんやから!」とやっぱり言われた。
うー。この歳になって尚、変わることを期待されてるんかーと思うと「母、ご苦労さん」って感じやけど、
「あんたもやっと変わったと思ったけど」とか、「やっぱり全然変わってない」とか言われるとシラける。
なーにーそーれーってシラける。
そんなシラけた顔の私に「アタシはムスメにきらわれるのよねー」と言い残し、美術館や博物館巡りに出掛けてった。
私が私をうまく動かしてあげることで、欠点が出にくくなるというのは、母のいう「変われる」ではない。
例えばスカンクって敵がいたら、悪臭放って逃げるわけでしょ?
でもスカンクを、全く外敵がいないところへ放ってあげても、悪臭を放つ機能がなくなるわけじゃない。
そりゃ、何世代も進む内にその機能が退化しちゃうことはあるかもしれんけど、基本的にその機能は無くならない。
だってスカンクはスカンクやん。
それと同じかなーと思うのよね。
かえこはかえこ。
私が理解して最適な運用をしてあげる以外道は無いんだと思ってる。