ある朝、目が覚めた時にあった考え。
それは、糸魚川ー静岡構造線を境に、東と西に分かれてるけれど、
東が西の鏡、西が東の鏡だったら?というもので、
見た目は違えど、例えば、〇〇山というのが東日本にあったとしたら、
それとセットで対応してる▲▲山というのが西日本にある、そんな感じ。
だから、「私」とセットの「〇〇さん」というのも、東日本にいたんじゃないかと。
西日本出身の私が今、東京にいるのは偶然ではなく、
きっとその〇〇さんも西へ移動したのに違いない、と、目覚めた時にふっと感じたのでした。
こういうひらめきって、面白くて、私は問いかけていたことの答えやアイデアは、全て、こんな風にして、
「ふっと、そう思った」とかいう風にして「感じる」ことが多いです。
もしかすると、私が日本に戻ってきたのは、その、私のカウンターパートにあたる人が、日本を離れたからか?とも思ったのでした。
その日の夕方は、イギリス人の方と継続してやってるセッションの日で、めずらしくランニング姿で現れたクライアントさんいわく、
「31度で、湿度も高い!」と暑がりながら、
「もうイギリスに帰ってこないの?」と聞かれた時、
「もうしばらくいるなぁ…」という腹感覚と共に、もはや、私の座標位置は、私がかつて思っていたほど、私の個人的なものではなさそうな気がしてきました。
今日は水瓶座の満月。