“When you take control of the emotions that keep you so attached to the reflection, you free yourself from the mirror.”
(Vadim Zeland, “Transurfing”)
"あなたを鏡に映るものに執着させている感情をコントロールすれば、その鏡から解放される"
(ヴァディム・ゼーランド「トランスサーフィン」拙訳)
ついついDefensiveモードになってしまう時、実は何を恐れてるのでしょうか?
Defensiveモードは、守りに入ってるモードで、それは被害者の立場を取ってる時。
そもそも、なぜ被害者になりたがるか?
それは、どこかで「責められてる」=「自分は悪いことをした」とか、「自分は失敗した」とか、感じているから。
そう感じている自分と向き合うのが怖いから、「責められてる」というシナリオを作ってしまう。
シナリオ通りに進むので、「責める」ような人や状況も生まれる。
じゃ、どうして「そう感じてる」自分と向き合うのが怖いのか?
それは、「悪いことをした」と感じてることを認める=「自分が悪い」になるから。
悪い、悪くない、良い、良くないという、二極しかない世界では、どうしてもそうなってしまうけれど、
それは、「自分が悪いことをした」、「自分は悪くない」、「自分が良かった」、「自分は良くなかった」と、自分がジャッジしてるだけに過ぎず、
本当のところは、永久にわからないまま。
Defensiveなモードは、「しがみつく」モードでもあり、「握りしめる」モードで、決してLet it go的なサラリとしたモードじゃないので、しんどいのです。
どうすればサラリとしたモード、それは自由でクリアなモード、になるかというと、こうやって感情を紐解いていくしかないなぁと思うわけです。
というわけで、最初のトランサーフィンのメッセージに戻り、「あなたを鏡に執着させている感情」は何か?というと?
一つではありませんね。
怒り、傷心、混乱…。
これらを一つずつ、認めてあげると「呪い」は解けていきます。
さてさて、久しぶりにこの人の動画を見ました。
youtu.be/pvzZoguPUVM
こちらも見ると、世界でこの問題がどう扱われているのか、よくわかると思います。
youtu.be/BpIiOtfSNe0
これはEU議会に招待されたものの、グゥの音も出なかったであろうトルドーへの真っ当で痛烈な批判の例。
https://twitter.com/AndersonAfDMdEP/status/1506905594623574020?s=20&t=yKk9U1eCswNK6kEB4HCdvg
この発言をしてる女性の声が怒りで震えてるのがわかるでしょうか?
「トルドーさん、あなたは凡ての民主主義において恥です。」
EUは破綻してると感じるけれど、EU議会の議員さんたちの多くは、真っ当だなぁと思う発言をしていて、日本の、ブレてない市議会議員さんたちを思い出させてくれます。
週末、近所の駅前商店街で、〇〇党の方々が、某国への寄付金を、あの無敵の2色のシンボルを着けて募ってらっしゃいました。
国内の貧困問題、シングルペアレント、障害者、難病者、教育問題、非正規雇用問題等々、山積みですけど…、これらも、あの無敵の2色でポスターとかチラシ作って募金募ればすぐに集まるのでは…?
因みに、私もその前を不本意ながら二回ほど通りすぎましたけど、その間、誰も、一人も募金してる人はいませんでしたから、意外と皆、わかってきた?のかも。
だったら良いですねぇ。
こちらは京都の議員さんで、こちらの方も、この問題に関しては、私とほぼ同じ視点をお持ちでした。
youtu.be/__k8gmSGbO0
最近、東京で緑を求めて、公園に行ったところ、「おお!」と正に、歩いていこうと思った瞬間、「立ち入り禁止」の札に、敢えなく阻まれてしまったのでした。
「ええ?ここからがおもしろいところなのに!」と私。
グリニッジ公園はじめ、イギリスは公園と公園文化が何よりの財産だと、改めて感じる日々。
そういえば20年ぐらい前だけど、イタリアのフィレンツェへ行った時も、某公園で「今日はリラックス〜」と思って行ったら、そこらじゅうに怪しげな人たちがたくさんいて、びっくりしたのを思い出しました。
後から在フィレンツェの友人に「イタリアの公園はそういう場所じゃないよ」と笑われました。
やっぱり山奥か海辺に住むしかないかー。