パニックアタックだという人たちと、たくさんセッションをしてきて感じたこと。
「I'm sorry」を連発する。
自分の言動に対して常に言い訳しているけど、自分で気づいてないから、ご本人たちの意識としては、
自分は正しく生きている、と言う感じ。
正しく、であって、幸せ、ではない。
いつも我慢ばかりしているので、「最後の一滴」がくると、豹変する!
いわゆる、キレたり、ヒステリックになったり。
そしてその後、彼らを待ち受けているのは…巨大な自己嫌悪。
セッション中、「自分の感情から逃げないで、しっかり(自分に)感じさせてあげてください。」と、私は言うのですが、パニックアタックの有無に関わらず、皆めちゃくちゃそれを怖がります。
かつての私はパニックアタックだと診断されたことはありませんでしたが、似たようなもんで、自分の感情を感じるのが、とても怖かったから、そんな気持ち、よくわかります。
しかしこの、自分感情を感じるのが怖いというやつ、無自覚に続けていると、いずれポジティブな感情すら感じるのが怖くなってきます。
その喜びが壊れるのが怖くなり、喜ぶのすら躊躇うようになり、やがて、正真正銘のネガティブ思考に。
先日やったクライアントさんも、そんなスパイラルの中にあって、「もう2度とあんな絶望感を感じたくない」と言いますが、
絶望感と、絶望的状況にあることは、別物で、これはあくまで「絶望感」であり、絶望感に苛まれることは、絶望的状況とは違うんです。
I am sadと、I feel sadの違いです。
それは悲しいと、悲しく感じるの違い。
前者は悲しい現実を生きてる主観的な状態で、今、自分は悲しい現実を生きてるのだと客観的に見てる状態。
主観と客観。
後者は、観察者のスタンス。
自分の感情を、観察者のスタンスで感じられるようになると、楽しい時も「うわぁ、今日はずいぶんご機嫌だねぇ、私。」という感じになり、
自分がウキウキしてる時もよくわかるようになってきます。
そうやって、自分の感情を常に循環させていくことが、脱パニックアタックに繋がります。
さて、この1週間、季節の変わり目で、花粉か何か知りませんが、めちゃくちゃ粘膜がやられています。
2019年から酷く、その時、イギリスの主治医から「うわぁ、鼻の穴が炎症して塞がっちゃってるね!息、できないでしょ?」と言われ、
副腎皮質ホルモン入りのスプレーを処方され、「これが効かないならレーザーで焼くしかないな」と言われ、
その年末から、例のアレに突入して、うやむやになりました。
私の粘膜が反応してるのは、何か、体内に入れたくないものに反応してくれてる証拠。
「ありがとね〜」と言いながら、キャスターオイルを鼻腔に塗っておくと、少しずつ和らいできました。
今週は、落ち着いてきそうです。
因みに、2019年の時点で、ロラタジンという抗ヒスタミン剤も試しましたが、全く効き目がありませんでしたから、2019年から始まった新しいモノなんだと理解してます。
というのも、私は処方された薬が手に入らず、10軒ぐらい薬局を練り歩くことにあり、結果、その年(2019)は、イギリスで「同じ症状の人たちが激増して」薬剤師から「薬が不足している」旨を聞かされたのでした。
ま、何であれ、私の粘膜は「やるべきことをやっている」ので、自然免疫を捻じ曲げるようなことはせず、労わるように心がけてます。
自然の力に優るもの無し。
イギリスは今頃、水仙がたくさん咲いてるはず…。