例えば、熱が出たり、咳が出たり、筋肉痛や、疲労感があるなぁと、感じた時に、人はすぐに何とかしようとしてしまいます。
同じように、誰かを怒らせたと感じたり、誰かに利用されてると感じたり、誰かが落ち込んでいると感じたり、誰かに裏切られ寂しいと感じたりする時も、人は、何とかしようとしてしまいます。
これが、その症状や問題を、より燃え上がらせること、つまり炎症させることだと知っていましたか?
基本の基本として、エネルギーを注いだものが、結果として大きくなります。
良いとか悪いとか、正しいとか間違ってるとか、好きとか嫌いとか、全く関係ありません。
好きな人のことを、いっぱい考えると、その人の存在は大きくなりますが、
嫌いな人のことも、いっぱい考えていると、その人の存在も、どんどん大きくなってしまいます。
エネルギーって嘘が無いんですね。
体に関していえば、熱が出ることもあるでしょう。
咳が出ることもあるでしょう。
それを不自然な形で、熱を下げようとしたり、咳を止めようとしたりせず、体に、気持ちよく「熱を出させて」あげ、「咳をさせて」あげる。
それらは自浄作用で起きているわけですから、基本的に、普通の体力があれば、寝ていれば、体は勝手に回復してくれるわけです。
同じように、気持ちの上でも、誰かを怒らせてしまったと感じる時、誰かが不機嫌だと感じる時、
機嫌を取ったり、媚び諂ったりせず、気持ちよく、その誰かを、気が済むまで「怒らせて」あげましょうよ。
つまり放置するんです。
何とかしようとしない。
同じように、誰かに嫌われた、もしくは嫌われてると感じる時、その誰かに思い切り「嫌わせて」あげる。
それに対して、「私は善良な人間なのに」とか、「私、何もしてないのに」とか、本人に向かって言う人はあまりいないと思いますが、別の人にも言わず、考えすらせず、相手にとことん、好きなようにさせてあげる。=放置する。
なぜなら、「私、何もしてないのに」という思考のエネルギーは、理由は何であれ怒ってる本人からすれば、「お前の怒りは間違ってる」と言われてるようなもんですから、火に油を注ぐような行為なんですね。
これ、全部自分が感じていても同じです。
例えば、誰かや何かにムカついて仕方ない時、無理に、理由を探したり、ムカつく理由を正当化しようとしたり、それらを理論的に理解しようとする必要はありません。
自分を、気持ちよく、とことん「ムカつかせて」あげるってことです。
悲しい時、寂しい時も一緒。
とことん、自分を、どこまでも気持ちよく「悲しがらせ」、「寂しがらせ」てあげる。
それを何とかしようとする行為は、「私の哀しみは間違ってる」、「私の寂しさは間違ってる」というように、「私は間違ってる」というエネルギーを強めてしまうんですね。
否定じゃなくて、肯定してあげることが大事でしょう?
常に、親、先生、社会、いろんなところから、「そうじゃない!」って言われ続け、思わされ続け、捻れてしまったわけだから。
「それで良いよ」って自分に言ってあげると、捻れが戻っていくんです。
「そりゃムカつくねぇ!!」と、ムカつく自分を応援してあげる、「うんうん、寂しいよねぇ」と、寂しがる自分に寄り添ってあげる、「確かに、怖いねぇ…」と、怖がる自分に寄り添う。
そうすれば、滞ったエネルギーは消費され、新しいエネルギーが入るスペースが生まれ、エネルギーは自然に循環始める…というわけです。
生命に間違いって無いんですよね。
だから「好き」にさせてあげるんです。
そしてこれが、自分自身へのコミットメントになります。