被害者意識の強い人は、なんでもかんでも、自分が中心。
誰かが何かを言うと、「私のことでしょ!」となり、「私は違う!」としなくて良い弁明をするのも、被害者意識の強い人の特徴です。
自分が中心にあることは、自然なことなんですが、そんなピュアな自分中心と違って、劣等感がぴったりくっついてるため、怒りがこもってて、余計な情報が満載の「自分中心」なんです。
で、そんな時、めちゃくちゃ心臓に負担かけてるって知ってますか?
今、理由は、わかってる方はわかっていますが、ある理由により、心臓発作、心筋炎など、心臓の病気(というのか?)が増えてます。
同じ理由でも、全ての人たちに、同じように負担がかかるわけではありません。
個体差です。
自分自身の中にある、怒りという感情の扱い方、関係諸々が関わってきます。
同じ食べ物、同じ飲み物を摂取しても、個体差がありますよね?
アルコールが良い例で、私の友人はめちゃくちゃ飲めますが、私はスプーンいっぱいでヤバいです。
体質…と言ってしまう前に、食べ物も飲み物も、ある情報を持ったエネルギーだという視点を持ってみましょう。
例えば、ビール。
ビールも、醸造の仕方、原料、原料の産地、醸造された環境、パッケージ、それらに携わった人々全てのエネルギーが紐づいてますから、究極を言うと、缶や瓶、ひとつひとつ、情報が微妙に違うわけです。
それを、これまた「わたし」という情報のエネルギーを持った個体が摂取する…。
反応が違うのは当たり前ですね。
薬品も同じです。
錠剤、粉末、液体、気体、なんであれ、全てある「情報」を帯びたエネルギーです。
それを例えば、同じ量を同じ年代や体型の人たちに一斉に投与しても、反応に開きがあるのは、そのため。
ここ2年でよく耳にした言葉に、既往歴というのがありますが、それも「情報」です。
持病や基礎疾患なんかも、「わたし」が帯びている「情報」というエネルギーの一部なわけです。
それらと同じように言えるのが、被害者意識だったり、低い自尊心だったり、自虐だったりするわけです。
これらも全て「情報」として、私たちは持っています。
そこへ、また異なる「情報」を持ったものを投入する…。
「わたし」(情報①)が、頭痛(情報②)になり、頭痛薬(情報③)を服用したら、頭痛が治った、とします。
この頭痛の治った状態は、情報①に戻ったわけではなく、新たに作られた情報④ですからね。
わかりますか?
どんどん、濁っていきます。
澄み切った、ピュアな自分、本来の自分に整えるのは、足すよりも、引く、なんですね。
だから、瞑想、クリアリング、断食、適度なエクササイズは、心身ともにスッキリするわけです。