誰かを助ける時、誰かが助けを必要としていて、助けたい時も含め、
相手から、クリエイトする力を奪わないように助けることは、とても大事だと思うこの頃。
それは、「かわいそう」だという目線じゃなしに、
その人の、その人すら忘れてしまったような、クリエイトする力を見つめながら、
その人が、自分自身の力でクリエイトし始めるよう、導いていくことが助けになります。
ジャッジすることなくサポートするって、そういうことじゃないかと思います。
それが他者に向かって表現できるようになる前に、まず、自分に対して、ジャッジすることなくサポートできなければ、他者に対してできるわけがありませんよね。
じゃ、自分を、ジャッジすることなくサポートするってどういう感じか?というと、
それは、何が起きても、自分の感情にフォーカスして、自分が感じてる感情を「そうか、嫌なんだねぇ」みたいに認めて、
それから「じゃ、どうしたい?」と、新しい選択肢を模索すること。
嫌な気分になってる自分に、「いつも同じことばっかり繰り返してバッカじゃないの!」とか、「自業自得か〜」っていう自虐ワードは、全く役に立たないわけです。
そして、クリエイトする力は経済的なマニフェステーションと密接にリンクしています。
クリエイトする力が弱っている人は、経済的にもマニフェステーションする力が弱いです。
そんな状態にある人は、自分を信じていませんから、全てをコントロールしようと躍起になっちゃいます。
↑これ、おかしいでしょ?
自分のことを信じてない、つまり、自信無いのに、全てをコントロールできる・しなくちゃって思ってるところ。
自信が無い人ほど、マイクロマネッジしたがるわけです。
ディテールは全て、Distractions(気を逸らせるもの)で、俯瞰して、大局を見つめることが大事だと、私が感じたトム・キャンベルの話はこちらから。
creativeenergyhealing.hatenablog.com
自分を信じることができたら、細かく「願いを叶えるノート」にあれこれ書かなくても、「自分なんだから、自分にとって最善の現実を創ってるに決まってるわなぁ〜」と、リラックスできるわけです。
自分を信じる力が弱い人は、親が過干渉だったから。
過干渉というのは、過保護という現れ方だけじゃなく、親の生き様、親の嗜好、親の人間関係の築き方…諸々が、子どもにめちゃくちゃ影響を与えてしまった場合も、私は過干渉と捉えます。
子どもの時に、自分をひとりの人間として捉えるチャンスを明確に持てなかったら、自分を認識する力が弱まるため、自分を信じる力も弱まるんだと思います。
これ、日本の教育環境あるある、ですよねぇ〜。
その呪縛から解き放たれ、己のクリエイトする力を強めたい人は、今から、全神経を自分が感じていることにフォーカスしながら生きてみてください。
自分が常に、何をどう感じているか?
これが、あなたを導く羅針盤です。
後1週間ちょっとで引っ越します。
本当は、↓こんな環境に暮らしたいと思っているのですが、サイマティックス的に、私はまだまだ大都市に必要なエネルギーのようです。
ま、いっか〜!!