自分軸で生きるってどいういうことか?
それは、被害者モードで生きていないということだと思います。
被害者モードで生きていると、自分の認識が曖昧で、常にボーダラインを彷徨ってるため、ブレやすい状態です。
この、ブレやすい状態は、自分の中で、認識が曖昧になってる状態であり、かつ、物事を良し悪しで見るというように、二極のどちらかから見てる時に起こります。
つまり、曖昧さと、二極化が同居してるわけです。
だから疲れます!
店員さん、同じ職場の人、通りすがりの人のような他人から、パートナーや家族などの近しい人までをひっくるめた、自分以外の人たちの、表情、声音、振る舞いの影響を受けやすいのが、被害者モードで生きてる人です。
影響を受けやすい、というのは、自己評価の変動が「影響を受けやすい」ということで、くるくると、目まぐるしく変わるわけです。
たとえば、「いらっしゃいませ」から「おはようございます」の、挨拶ひとつで、「あれ、私何かした?」みたいに、文字通り「被害者」になってしまうわけです。
そんな人は、他者の評価も激落させます。
たとえば、誰かが不機嫌で無礼な振る舞いをした時、被害者モードじゃない人は、「きっと何かあったのね〜」と、気にしません。
これが、自己啓発でいうところの、自分軸で生きてる人。
被害者モードで生きてる人は、そんな時、「私、あなたに何かした?!」みたいな反応をします。
相手にそう言わなくても、思った時点でエネルギーは作られてますから、言おうが言うまいが、自覚がなければ同じこと。
これが、他人軸で生きてる時で、相手を「何もしてない私に対して無礼な態度をとる怪しからん人」にしてしまうわけで、ここが二極化が出るところでジャッジ。
自分軸で生きてる人にとって、誰かが不機嫌なのは、自分とは無関係だし、それが、その不機嫌な人のデフォルトじゃなくて、何か理由があるからだと放っておけるわけです。
つまり、相手の人格まで否定しないで済むわけです。
相手の人格否定をしている時、身体症状でいえば,それは炎症を起こしてる時で、拗らせる、とも言います。
炎症、拗らせは、インナーチャイルド・アダルトチルドレンと、深くかかわってます。