よく、宇宙なんて無いんだという意見を聞きます。
特に、私も楽しんでいるマッドフラッド界隈で聞くのですが、
私が、最近瞑想で感じたのは、「宇宙は無い」のではなく、
私たちがこれまで「これが宇宙だよ〜」とか、「宇宙ってこんなんだよ〜」とかって、見せられてきた宇宙は「無い」=虚飾、または虚構、またはその両方とも言えるかもしれませんが、そういうことなのだと実感しました。
私たちが感じる宇宙と呼ばれる「何か」は存在するけれど、それは私たちが耳や目を通して「こんなものだよ」とプログラミングされてきたモノと異なるということを感じました。
強く、感じました。
私たちの内側に、私が今も、宇宙(Source)、源として感じる、源泉のような何かと繋がっているポイントがあって、
それは、海と、天が、実は繋がってるんじゃないか?という感覚と似ています。
血液が足りない時、輸血ではなく、食塩水を注入する実験を成功させたカントンの話を調べると、
この血液と海、天との繋がりは、私が感じる、Souceとつながるポイントを、自分の内側に感じるのと関係がある気がしてきます。
しかし、ここで私が言う「私たちの内側」は、肉体の内側…というだけではなく、それを含むもっと内側…のようなイメージなんです。
セッションでクライアントさんに、イメージしてほしい時、「脾臓のちょっと右後ろ…」とか、「肝臓の右上部分」みたいな言い方もしますが、
それはあくまでイメージをしてもらうための手段に過ぎず、
私の感覚としての「私たちの内側」は、もっと広く、深く、遠いんですよね。
↓大阪の近鉄電車は、埴輪がテーマらしく、こんな風に埴輪のオブジェや、つり革にも、埴輪がデザインされていたりと凝ってます。
こういう感覚が、昔ながらの「かわいい」というスタイルで、現代の「KAWAII」と違うところ。
Kawaiiは、Kaizen同様に、輸出されてしまった言葉だけども、本来の「かわいい」とは異なり、一人歩きしてます。
この埴輪の電車に乗った時、そんな昔ながらの「かわいい」を思い出しました。