最近、ご飯を炊いて酢飯にしてアボカドや胡麻と一緒に食べるのが好きです。
これは干し椎茸とにんじんを炊いたものを混ぜて、ちらし寿司風にしてみました。
私、アボカドはある程度硬い実が好きで、グジュグジュに熟れてるのは苦手だったりします。
さてさて私たちは、誰かが話してることや、何かを見たりした時に感じることを、
自分のモノだとは捉えず、相手のモノだと誤解しているフシがあります。
例えば、誰かが話してる内容を聞いたり、読んだりして、面と向かって言われたとかじゃないのに、なぜか「イラッ」としたとします。
すると大抵の場合、相手の話してる又は書いてる内容に問題があると捉えるんですね。
つまり、相手を何とか変えようとする。
それ間違ってる!…とか、
〇〇の癖に生意気だ!…とか言って、相手の問題として向き合おうとします。
これが親子関係だったり、パートナーだったり、家族、会社、学校など、前提のある関係であればなおさらです。
最近も、小さなお子さんをお持ちのママさんから、子どもが手に負えないので悩んでるという相談を受けました。
そういう時、99.99…9%でお子さんに問題はなく、ママさん自身がご自身の問題から目を逸らしているんです。
もちろん子どもゆえに学ぶこともたくさんありますが、これについてはまたの機会に書きます。
全く面識が無い誰かのコメントでも、私たちは「ムッ」ときたり、バカにしてマウントしたりしちゃうわけですから、面識という前提がある関係ならそれが顕著に出るのは当たり前といえば当たり前ですね。
しかし、私たちが何らかの感情を作り出す時、大切なのは何によってそう感じさせれたでなく、
自分はどうしてそう感じるのか?です。
私の個人セッションでも、人間関係の問題がダントツですが、
私のアプローチとして2つあって、
例えば家族関係で、もうどうしようもないぐらい感情的になってて自分が喪失しちゃうぐらい炎症が起きてる時は、それをまず解消するワークをします。
もちろんエナジーワークですけれど、これは私の中で対処療法としている部分です。
これによって何とか冷静に深呼吸して集中できるようになったら、本質的なワークを始めます。
やり方や内容は人によって異なりますが、この部分で前述の「自分はどうしてそう感じたのか?」をクリアにしていきます。
例えば今、コロナのワクチンで意見が割れています。
打った人の中には、打たない人に対して自分勝手だと感じたり、良く無いことだと感じたりする人もいるようです。
例えば、打った人の中にそう感じてる人がいた場合、その人にとって大切なのは何だと思いますか?
打たない人が自分勝手なのかどうかとか、打つべきか否か…とかではありませんよ。
それは本質から目を逸らすための目眩し。
前述のママさんのように、自分自身が向き合うべき問題から目を逸らさせるためのダミーです。
大切なのは、打った人で上記のように「打たないなんて自分勝手だ」みたいに感じてる人は、どうして自分はそう感じるのか?ということです。
そこにあるのは怒りですが、その怒りの中身をしっかり理解すれば、そのバブル自体解消されます。
また、打たないことを選択した人の中には、打った人がスプレッダーになっているとして迷惑がってる人もいます。
ここでも迷惑に感じてる人がいたら、その人にとって大切なことは何だと思いますか?
本当にスプレッダーという現象が起きているという証拠を集めることではありませんよ。
それもやはり、自分自身が向き合うべき問題から目を逸らさせるためのダミーに過ぎず、時間稼ぎです。
大切なのは、打たなかった自分が打った人を迷惑に感じていること、もっと言えばスプレッダーという現象によって自分も危害を受けるかもしれないと感じていることです。
そこにあるのは恐れですが、この恐れも中身をしっかり理解すれば、そのバブル自体が解消され、打ってようが打つまいが、スプレッダーだろうがなかろうが、あなたを脅かすものがなくなります。
その怒りの中身をしっかり理解すれば、
この恐れも中身をしっかり理解すれば、
と書きました。
これには理由があって、例えば前者の怒りが骨組みだった人の場合も、表面的な怒りをクリアするに止まっていると、パンデミックが終われば、また次に自分を苛立たせる何かを見つけるし、
後者の恐れが骨組みだった人も、パンデミックが終われば、また次に自分を脅かす何かを見つけるからです。
きっと皆、パンデミック以前から、満たされない思いや、言葉にできない不安を持っていたから。
つまり、ほぼ永久に怒り怯え続けるという潜在意識のプログラミングが見えてきます。
全てはコンシャスネスを拡張して、宇宙そのものが拡張していくために起きています。
起こることは全て、全宇宙の創造主の中で起きてるわけですから、今回のパンデミックも、起きたからには、私たちのコンシャスネスを拡張する要素が含まれているはずですね。
そういった意味から、やはり色々な感情が掻き立てられている今、感情を掻き立てる対象よりも自分自身に立ち返り、どうして私はこう感じるのか?をしっかり掘り下げていくことが大切です。