人間ってどうしようもないところがあるから、
肩書きや役割を通して感じるパワーで、
自分もカミサマか何かになったかのように、
誰かや何かを罰することができると勘違いしてしまう。
それを愛だと勘違いしてる人間もいる。
ここからしばし、地球の昔話。
何万年も前に、未発達の地球でいわば担任の先生をしていた宇宙の存在が過ちを犯した。
この地球の担任らは、地球の人間よりもコンシャスネスが発達していたとはいえ、
宇宙の中では、地球の人間に一番近い波動だったから、地球担当になったわけで、
彼らからすれば、私たち人間は「先週の自分」ぐらいのものだったのに。
錯覚しちゃったんだろうか。
それとも、波動の低い未発達の人間たちに接するうちに、
本来の輝きをなくしちゃったのか…。
宇宙の中心、全ての源へつながる構造に、
ほんの少しだけ、興味本位で細工を施した彼らは、
それによって混乱に陥った地球を見て慌て、
少し悪い気もしたんだろう、手を差し伸べた。
「大丈夫だよ!自分たちはここにいる。
あなたたちが必要な時は私たちに言ってくれれば良いから。」
全ての源とのつながりが絶たれた人間は、真っ暗闇に陥ったような錯覚を覚えたはず。
そんな人間にとって、「大丈夫だよ!自分たちはここにいる。あなたたちが必要な時は私たちに言ってくれれば良いから。」は、
カミサマよりもありがたく感じられたかもしれない。
そしたらさぁ…、その地球人と大差無い存在だった担当者らも、勘違いしちゃって当然よね。
ワタシ達ってすごいのかも?!
宇宙じゃ、まだまだひよっこみたいに扱われてるけどさ、実はすごいんじゃね?
みたいな。
同じような錯覚を、私も何度も覚えたことがあって。
最初に実感して、つまり自分に与えられたかのように感じたパワーに怖くなったのが、学校で先生をやらせてもらった時。
同僚の先生が何気なく言った言葉にハッとした。
「先生(私のこと)、子どもたちってかわいいですよねぇ。大したことじゃないのに『すごいね!』って言ってくれるじゃないですか。大人だったらこんなの誰でも…とまでは言わないけど、できるじゃないですか。」
私はすごく怖くなった。
それまでもこんな私が成績つけて良いのか?!といつも葛藤があっただけに、
自分だってひとりの人間で、年齢こそ上だけど、10歳の子どもよりできることや知ってることは多いかもしれないけど、
人間としてはどうだろう?
すごくしんどくなった。
でも、この感覚がある時ってある意味健康かもしれないなぁ。
宇宙の担当者らの暴走は破綻して、
彼らはお役御免となり、
ちょうどマヤ暦が終わった2012年ごろに、
全ての源へとつながる構造も是正が完了した。
以来、地球も地球人もリカバリー中。
宇宙が無限なら、私も無限。
やっぱり意識(コンシャスネス)を拡張するって並大抵のことじゃないんだわ。