喉が渇いたという人を、
天然水が湧いてるところへ、
連れていくことはできるけれど、
水を飲ませることはできない。
どこかで聞いたことがある話でしょ?
エネルギーヒーリングをやり始めてから、
私たち人間は、
「自分には価値が無いのだ」
「だから愛されない」と、
無価値観から生きていく方が安全に感じるように、
長い長い年月を経てプログラミングができてしまっていたと私は気づきました。
私もそうで、最初に自分の無価値観と直面した時、
「あ…!」と心当たりがありまくりな反面、
今度は「どうしてそれをリリースするのがこんなに大変なのじゃ?!」と理解に苦しんだ。
恐らくこれは、エネルギーヒーリングやエネルギーワークをやってる人なら、
誰でも知ってること。
だってね、「自分は愛されている」とか、
「ありのままの私」に価値(愛)を見出そうと動くと、
恐怖や怒り、悲しみが作られちゃうのよ。
恐怖「うまくいかなかったらどうしよう?」
怒り「クッソう〜!馬鹿にしやがって!一生覚えてるからな!」
悲しみ「でもどうせ私なんて誰からも愛されないし…」
そして私たちは躊躇する。
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この人類史における最大の勘違いから、
今の混沌とした状況があるといっても良いだろうと私は思うよ。
つまり、人類は、全てをありのままに見て、聞いて、知って、感じて、捉えることができなくなってしまったのよね。
例えば、よく自己責任とか、自業自得という言葉を聞くけれど、
それは、全てをありのままに見て、聞いて、知って、感じて、捉えることができた上での、意識的な選択をしてこそ…の言葉だと思う。
ところが、これまでの人類史において言われてきた自己責任は、
全てをありのままに見ることも、聞くことも、知ることも、感じることも、捉えることもままならないまま、
これが全てだ!と押し切られ…、
思考ではなく、リトマス紙みたく反応させられて、
そして決断を迫られてきた。
これはテストにある、「正しいものを選びなさい」「間違ったものを選びなさい」の世界だ。
そう、選択じゃなくて決断で、テスト結果が出る。
そしてそれが今、終わりつつある。
水瓶座の時代ですよ。
ここからは、ひとりひとりが、全てをありのままに見て、聞いて、知って、感じて、捉えた上で、ひとりひとりが、それぞれの選択をしていく。
それは、「あの人が選んだものが正しく、わたしが選んだものは間違ってる」の世界じゃない。
正しいから選ぶのではなく、間違ってるから選ぶのでもない。
ひとりひとりが、全てをありのままに見て、聞いて、知って、感じて、捉えた上で、自分にピッタリくる選択をする。
何を選ぶかは、宇宙において個人の自由だからだ。
私とあなたの選択が同じとは限らず、それでOKなのだ。
カナダ在住のやまたつさんのこの動画は、
そんな風に、全てをありのままに捉えることをさせないカラクリというかテクニックがよく見えるニュースを取り上げてらっしゃった。
https://youtu.be/xBdY_QCasF0
だから気づきは傷つく。
それは、全てのありのままに見る、聞く、知る、感じる、捉えると、
全てが、本当に全てが、
実は私たちの勘違いで、
全ては本当にシンプルだったし、
シンプルだし、
シンプルであり続けると気づくから。
目覚めよう、人類。
もういいじゃないか、怒りも、悲しみも恐れもさ、
全部手放してリセットしちゃって、
朗らかに生きよう!