私もずっと「自信とは『エッヘン』状態」であれることだと思っていた。
ある時、母と「私は自分に自信がないのよねー」みたいなことを言うと、
「そんなん、皆そうや!」と母の喝が入る。
母の自信の定義は、おそらく「これもできる、それもできる」じゃないけど、そういうのだと思う、多分。
そして、それは割と一般的で、「ピアノが上手」とか「英語がペラペラ」とか、「見た目に自信がある」とか、そんな感じ。
でも自信とは、「自分を信じる力」だと私は思って使ってる。
自分を信じる力が弱まってしまった私は、
昔から「頑張って」色々やるようになった。
これを英語で、I earn a reputation(評判を得る)というように、Earnという単語を使って表現することがあるんだけども、
ご存知、Earnは稼ぐという他、努力して得るとか、勝ち取るみたいなニュアンスもある。
そうやって英検を取り、テストで良い点数を取り、眉毛を整えたり、マツエクやってみたり、世界を旅してみたり…とやってきた。
誤解しないでほしい。
英検も、テストで頑張るのも、眉毛やマツエクをやるのも、悪いことじゃないの。
良いの。
でも前提が、「私はこれをやらないと『価値が低い』」だったから問題だった。
そうやって「私には価値が無い(低い)」という前提の元に、
何をどれだけ頑張ってやっても、
たとえどんなに結果が出せたとしても、
褒められても、讃えられても、敬われても、
絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、
絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、
絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、
満足できないのよね。
では、その勘違い「私には価値が無い(低い)」という思いこみの正体は何なんだろう?
ズームアップしていくと、そこにはこんなモノが潜んでいた。
「だから愛されない。」
うぉ〜!
そうだ、これだこれ。
「私には価値が無い(低い又は足りない)から、愛されないんだ!!」
つまり、元々の思いこみは「私は愛されない」だったわけだ。
これに気づくまで、私も相当「頑張って」きた。
頑張れば頑張るほど虚しく、満たされないのが特徴。
で、もうどうしようもなく不満が募ったピークで、宇宙の仲裁が入り、自分自身の中の闇と向き合うことになる。
闇=「私は愛されてない!!」
頑張り続けるのは、「私は愛されてない!」と思ったからだけど、
頑張る内に、分かってくる。
「全てあった」と。
自分は充分だし、そう感じなかったとしても、
あの時、親、先生、上司、友だち、彼氏に言われた言葉で、
「あなたには(価値が)無い、(能力が)低い、または(努力が)足りない」と聞こえたとしても、
そう意図された発言だったとしても、
そうだと信じたのは自分だったのだ…と気づく。
そして、その「価値」の定義が、いかに単一の価値観だったのかにも気づく。
「そうか、これでよかったんだ。いつも誰かになろうとしてたんだ私は」
そう気づくことで、三角座りをしたまま頭を膝の間に埋めていたインナーチャイルドが、顔を上げてこう言うから。
「あ、やっと分かってくれた!」
これがインナーチャイルドヒーリング。
次のポストで、個別ケースは紹介できないけれど、
全体的なクライアントさんたちとのインナーチャイルドヒーリングの傾向や流れを共有するね。
これはね、基本皆そうだから。