前のポストにも書いたように、
自分嫌いや自分責めが、自分自身の分離だとすれば、
そんな状態にある人が体験する現実は、コントラストが激しくなる。
コントラストの激しい現実とは、
意見がバチッと2極に分かれてたり、
「絶対〇〇!」と感じる状況が現れたりする。
つまり、それはジャッジメントに基づいてて、
ジャッジメントとは、善悪、左右、醜美…など、シロクロつけてやる!みたいなエネルギー。
まとめ:曖昧さは愛。良いわけでも悪いわけでもない。愛。
愛は良いも悪いも無く、全てを含む。
セルフコンパッションの本を読みながら、そう感じた。
「まぁ、良いじゃないの」とお茶を濁すような曖昧じゃなくて、
例えば、意見が分かれても、意見について自分が悩んだんだったら、「この人も悩んだんだなぁ」とか、
「私ばっかり…!」みたいな風に感じるなら、「この人も言われたことあるんだろうなぁ」とか。
そんな曖昧さ。
英語でAllowanceとよく言うのだけど、日本語にそのまま訳せば許容…だけど、
日本語でよく「自分に許可してあげよう」と言うのも、
実は、この曖昧さなのかなぁと私は思う。
自分に許すか許せないかというよりも、
「そっかー、そういうこともあるよねー」ぐらいの。
そういう曖昧さが、地球のコントラストをマイルドにするんじゃない?
↓いつものビーガンカフェ。(私はビーガンではないけど…)
いや、顔を覚えてもらえるって嬉しいね。
「今日は何にする?」と聞いてもらえた!
この日はアイスコーヒーに。
それぐらい暑いロンドン。
私もちょっと夏休み気分を味わってる。