こういう質問をされると、よく回答に詰まってしまった私だった。
でもそれは2020年までのこと。
このパンデミックが始まりだした初春。
空っぽのスーパーで立ち尽くしてた私の耳に、イタリアの数値やら、国のトップの『皆さんも大切な人を亡くすでしょう』コメント、その他いろいろな情報が入ってくる中、こういうのがあった。
今思うと一番マトモだったなぁと。
それは、イギリスの医師で彼はこう言ったのだ。
「落ち着け。人間いつか死ぬのだ。人類は菌と共に生きてきた。」
その時、私は「なんて恐ろしいことを言うのだ!」と感じたのだからどうしようもない。
それまで、自分が死を恐れてる?!だなんて考えてもみなかった。
要するに、私は全然、今を生ききれてなかったわけだな〜。
死を恐れる=今を生きていない、だもの。
エックハート・トルの本だって読んでたし、そういう意識はあったけれども、BE=なる、ができてなかった。
でも、実際その通りで、人間いつか死ぬ。
人間いつか死ぬからこそできることもあるなぁって。
例えば自分にとってすごく勇気がいること。
永遠に死なないのであれば、勇気を出す必要無いもんね?
やっぱり毎日これを意識して生きたい、と思わせてくれた今回のパンデミック。
そこで私は勇気を出して全ての怒りを手放した。
自分へも何かや誰かへも。
怒りを手放すと最終的に何が起きるか?
それは全て自分の内に含むということだけど、それは腹の中に抱えるという意味ではなく、エネルギー的に全てを含む…というイメージが近い。
よく意図してくださいって言うけれど、それは私の場合、手放すなら「手放した」として、手放した私として生きること。
手放した私として生きるとは、手放した私として日々の選択を変えていくこと。
この辺、オートでサッとできる人もたくさんいらっしゃるだろうけど、私はねぇ、マニュアル方式らしく「歯科矯正」スタイルでしたー。