「色々参加している内に、あなたはたくさんの人たちの夢を叶えている。」
え?
夢…というと誇張されて聞こえてしまうけど、例えば、イベントをやってる人がいたとして、無料だろうと有料だろうと、やっている人たちからすれば、少しでもたくさんの人たちに参加してほしいよね。
それに例えば私が「行ってみる」と、インベントをやってる人の力になったことになる。
しかも、そのイベントへいくまでの交通、飲食その他諸々、色んな人のサービスを使うことで、ある意味、イベントそのものに関わる人たちを超えたたくさんの人たちの力になれたということで、それはエネルギーを動かしてることになる。
誰かの力になる=エネルギーが動いてる
もし、私がイベントの告知を見た時に、「行く?本当に面白いのかな?いくら?無料?有料?どこ?遠いの?」とか言ってたら、明らかに「私、行きたく無いわ〜」感が満載で、エネルギーは動いてない。
考えてる間は動いてない。
だから、行こうかな?どうしようかな?とか迷ってる時、
(イベント)やろうかな?どうしようかな?とか迷ってる時、
フラストレーションが溜まる!
自分が動く(参加する)=エネルギーが動いてる
エネルギーが動いてる=誰かの夢を叶えるために動いてる
…のだとすれば、そうやって動いてる内に、あなたの夢のためにもたくさんの人たちが動いてくれてることになる。
でも、いちいち考えていない…というのが実際のところ。
参加する…と書いたのはそのためで、例えば、学校へ行くのも同じ。
皆が行くから行く、義務だから行く、親が行けというから行く…、何でも良いけれど、そんな風に参加してきたことの方が多いと思う。
これを、意識してやるとどうなるだろう?
参加したい!と思うイベントに参加すると決め、
それに参加してる過程で、「全ての人たちの夢を叶えるために動いてる自分」を意識してみる。
するとね、ものすごく豊かな気持ちになる。
だから、自分の夢は叶えようとしなくて良いわけだ。
願った時点で叶ってるというのはそういうこともあるのかもしれない。
もっと言えば、「参加したい!」と感じた時点で、参加したいと感じる何かが目に触れた時に、私たちは「参加させられてる」気がする。
例えば、神社で「合格しますように」と誰かが願う、家で椅子に座りながら「こんなビジネス始めよう!」とイメージする(願う)人がいて、職場で「この契約を結びたい!」と商談に臨む人たちがいる。
こうやって地球では常に誰かが何かを願いっぱなし。
そしてその願いは、14秒以上思考されれば、可能性として存在する。
そんな人々の願いをマッチングさせることで、効率よくダイナミックに叶えていくのが宇宙のなせる技。
例えば、誰かが「ライブやりたいな、良いスペース無いかな」と願う。
そして他の誰かが「ロックダウン明けにウチのカフェでイベントやりたいな。誰か協力してくれるアーティストいないかな?」と願う。
それらを宇宙のエネルギーを円滑に動かす担当者らが繋げてくれる上で、参加する人たちも必要でしょ?
だから、映画やドラマでいうところの「エキストラ」になる参加者として私やあなたや皆に、「参加したい」と思わせてくれる。
何しろ、宇宙の高次の存在には肉体が無いし、地球の出来事なので地球人同士で関わらせないといけない。
だから、願わされるんだと思う。
欲しい…!と思わされる。
こうなりたい!と思わされる。
これは全部、誰かの願いを叶えるためで、それが不思議な繋がりで自分の夢を叶えることになる。
私も何かを願った時点で、それはガチャンガチャンと宇宙の創造活動に組み込まれ、そのために、どこかで誰かが何かを願わされてるんだと思うと、すごく大きな営みの一部なのだと感動する。
↓家でもアイスコーヒーは飲めるし、本も読めるし、パティオも庭もある。
けど、カフェも良いよね。
これはそれほど近所じゃないけど、ビーガンのカフェで、時間がある金曜に行くところ。
電車に乗って、周りのお店も冷やかして、たまにケーキも食べたりなんかして、そうやって常に誰かの夢に参加してる。