Ray of Sunshine

「自分はどう感じたか?」 ​という視点で色々なことを書いています。水星逆行生まれなため、水星逆行期間に投稿が集中する傾向アリ。

繰り返し現れる現象から卒業する

これは一般的にカルマと呼ばれるもの。

私は、一般的な意味でのカルマという言葉の使われ方が好きじゃない。

重たくて罪の意識を助長するようなイメージがある気がするから。

それは何度も何度も私たちの前に、パターンとなって現れるシチュエーションで、私にとってカルマとは、前世の過ちによる罰を償うというものでもなく、いつかの人生において作った期限切れの囚われた感情やネガティブな思考を消化するための機会という方がしっくりくる。

それは「今度こそ克服するぞ〜」みたいな感じ。

このカルマ(と呼ばれるシチュエーション)には、それぞれが今回の人生でマスターしようと思っていることのエッセンスが含まれてる。

例えば、ある人が今回の人生で「ひとりぼっちになる恐れを克服しよう」と思っていたら、その人にはまず「ひとりぼっちだ」と感じるシチュエーションが用意される。

それはその人が「ひとりぼっちになる恐怖」を克服しに来たから。

この、克服する…だけど、この人の例の場合、克服すること=ひとりぼっちで生きることではない。

しかも、克服できたかどうか…よりも、この恐怖とどう向き合ってるか?の方が大切だったりする。

そう、どんな風に克服するか?またはしているか?

それがクリエイトし続ける…ということ。

こないだ、同じくイギリスに暮らす20年来の友人と話してた時に、カルマの話じゃないけれど、私が「自分の直したい癖の一つ」として「心にも無いことを言うのをやめる」という話をしたら、友人が「わかるわー!それ私もやってしまうわ。」

私は、誰かと話していて、その人と何の接点も感じられない時、相手の身につけてるものや髪型なんかを褒めてしまう時がある。

変な服だとか、靴だとか、髪型だとか、思ってるわけではないけど、別に「素敵だ」とも「好みだわ」とも思っていないのに、「その靴素敵ですよねぇ」とか言ってしまったりするようにいつの間にかなっていた。

最初は全然気づいてなかった。

でも、相手は悪い気がしないので、それどころか親しみさえ抱いてくれ、段々近づいてくるので、しんどくなってしまい…「なんでこの人こんなに私に懐いてくるんだろう?」と苦悩してしまっていた。

自分で蒔いた種により,人間関係で窮屈な思いをして「ああ、人間て面倒…」と思ったりしたけれど、違う、面倒なのは自分だった。

心にも無いことを言うから誤解が誤解を招き、訳がわからなくなってしまっていたのだ。

「接点が感じられない」ことを、申し訳ない…みたいに感じて、勝手に「気を使っていた」ことに気づいた。

その証拠に、この長い付き合いの友人と初めて出会った時のことは今でもはっきり覚えてるのだけど、あるパーティで、タバコ吸いながら手には酒…(今はタバコは吸わないし、酒もそんなに飲まないけど若い頃は部屋にウォッカのボトルを常備していた)で、赤いプラスチック感丸出しの当時イギリスの若者の間で流行ってたピタッとしたブーツを履いてて、「うわー、なんだコイツ…」と思ったのを覚えてる。

友だちになってからわかったのだけど、彼女は北欧のひとだから、「イギリスっぽい格好がしたい」と、わざわざそういうチープなルックスのブーツを買ったりしてたのだった。

なんと、ずっと友だちである。

私の場合は、友だちになろうとしないまま友だちになれる相手が、私の好きな人間みたいなのだ。

要するに、私が取り繕わなくて良いということ。

そして、本心じゃないことは言わなくても良いということ。

つまり、私のカルマの一つは「嫌われる恐れを克服して、自分の心に沿ったスピーチ、表現をマスターする」だ。

話すことだけじゃない、考え方、物の見方や捉え方、服など身につけるものから、生き方全てにおいて、自分の心が感じるままに表現すること。

嫌われる恐れ…だけどね、自分に嘘をついてまでしても、ダメになる人間関係はどうやってもダメになる。

ところが、タバコにウォッカと赤いブーツの彼女とは、一度地球にヒビが入るような喧嘩もしたけれど、未だに友だちである。

この友人は、パンデミックを機に国へ帰る決意をした。

寂しくなるなぁ。

 

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