地球に生まれたから地球人、というのはとても限定的で、実は私たちは宇宙的存在。
これは感覚の問題で、例えば日本から遊びに来た人でよく「ロンドンって当たり前だけど外国人多いなぁ!」とコメントする人がいる。
「いやいや、ここではあなたが外国人ですよ」というのと変わらない。
私がそうツッコむと皆「確かにぃ〜!」と笑い出す。
日本人は日本にいるから日本人で、それ以外の人は外国人なんだけど、日本人も日本から一歩外へ出たら日本人以外の人にとっては外国人であるように、地球に生まれた私たちも地球の外では宇宙人なのだ。
で、ルーツ。
これは二本立て。
まず一本は、肉体のDNA、要するに〇〇家の墓的なルーツ。
ここには、身体的な特徴とか、気質的な特徴といった地球的な価値観の情報がある。
もう一本は、宇宙のDNA、魂のルーツ。
宇宙は無限に広がる。
私たちが暮らす太陽系が収まった宇宙以外にも、無限に宇宙は存在してて…というと、「見てきたんかい!」と言いたくなる人もいるだろう。
実はこれ、自分のルーツに思いを巡らせる上でとても大切なポイントだったりする。
そこで、今あなたも感じてみて欲しい。
どちらがあなたにとってしっくりくるか。
「宇宙はただ一つ」と、「宇宙はたくさんあって、無限に広がる」とを感じ比べてみる。
私は「宇宙はただ一つ」というエネルギーを感じると、遊園地にありそうな宇宙を模したローラーコースターのある遊戯館にいるような閉塞感と人工的なものを感じる。
ところが「宇宙はたくさんあり、無限」というエネルギーを感じると、例えばどこまでも自分が広がっていくような感覚を覚える。
…ということは、私の魂のルーツは宇宙にあるということ。
あくまで例だけど…。
ここで「宇宙はただ一つ」に安らぎや安定感を感じる場合、あなたの魂のルーツは地球、または地球と同じシステム・波動を持つ惑星に由来する可能性が高い。
つまり、「宇宙はたくさんある」という感覚が備わってないということで、それに良し悪しも無く、それはそれで特別な意味があるし、宇宙的存在であることに変わりは無い。
ただ、ルーツは地球や地球と同じ種類の惑星である可能性が高いということ。
大昔の地図を見るとわかり易い。
まだ航海技術も発達していなかった頃の人間が描いた世界地図は小さい範囲が描かれてる。
それと同じことだと思う。
では、宇宙はたくさんあって無限…という時の「無限」とはどういうことだろうか。
私にとって無限という言葉、英語だとInfiniteは、始まりも無ければ終わりも無いという、常に在るという宇宙の状態を表してて、地球的価値観で一番近い言葉が無限だというだけ。
そんな無限に広がる宇宙。
宇宙の中心は一番波動が高く、そこから遠ざかれば遠ざかるほど、波動は低くなっていく。
波動の高低についても、地球的な感覚からすれば、高い=高尚・良い、低い=低俗・ダメ…みたいな感じだけど、宇宙の感覚からすれば、波動の高低に地球的な上下の価値観は無く、どちらかというと波動の高低によって宇宙における役割が異なる、そんな感じだ。
ルーツに関係無く、その一番波動が高い宇宙の中心にあるコンシャスネスと私たち地球人も直接繋がっている。
地球人としての一面、ハイヤーコンシャスネスで繋がってる。
ハイヤーコンシャスネスは、私たちの高次な部分のこと。
地球の問題は、かつてこの繋がりが意図的に断絶していた時期があった…ということ。
詳細はもはや重要ではなく、今、この問題は根本的に解決され、私たちは様々な方法で、再びハイヤーコンシャスネスと繋がり始め、つまり宇宙のコンシャスネスとも繋がり始めた。
地球的な価値観に縛られた思い込み、感情は、言ってみればかつて意図的に断絶していた状態の名残で、それらが無くなれば無くなるほど、ハイヤーコンシャスネスとの繋がりがよりくっきりと、すっきりとしてくる。
私たちの宇宙存在としてのルーツを知る旅は、ルーツへ帰る旅でもあるなぁ。